現在の学校

思い出の豊岡高校全景(1972年以前)

現在の豊岡高校

私たちが学んでいた頃の校舎は、昭和47年(1972年)10月4日の大火で全焼。
 午前1時20分頃、北校舎中央階下付近から出た火は、フエーン現象により乾燥

し切った強風(最大瞬間風速17、1メートル)にあおられて、またたくまに北校舎を
焼き、本館をも焼き尽くした。

 その後、旧体育館の間仕切り教室や、グランドに仮設のプレハブ教室での学習で
 あった。  新校舎の工事は昭和47年(1972年)12月より始まり、昭和48年(1973年)
 11月にA棟東校舎完成。昭和49年(1974年)6月にA、B棟完成。7月にすべて
 の移転が終了した。

豊岡高校の正門です。左に見える建物は現在の和魂ホールで
平成4年(1992年)3月31日竣工。
その奥に見える建物がA棟校舎です。

正門を入ってすぐ右手にある達徳会館。
創設当初の校舎で現在まで残る唯一の建物。昭和47年(1972年)の大火を

まぬがれたのは不幸中の幸いであった。

当時は、2階が講堂、下階は校長室、職員室、宿直室等に使用されていた。

位置は現校舎のB棟東端に当たり、東面していた。現在の位置に移転して南面

したのは昭和16年(1941年)10月の校舎改築の時。危うく公売にされるところを

達徳会が譲り受け、以後「達徳会館」とよばれるようになった。

玄関の柱はイオニア式を模しており、今となっては県下でも数少ない貴重な文化財となっている。

達徳会館の隣にある「和魂碑」
  建立は明治31年(1898年)。
 「和魂」の二字は豊岡町長富田仙助の筆。

肉太の文字「魂」の「、」のところにコップ5杯分の水をいれることができるといわれている。石材は旧内川村(現城崎町)にあったものを船積みして円山川を上り、小田井に陸揚げした。

そして、これを車に積むが、すぐには学校に搬入せず、数ヶ月間街路上におき、生徒、町民の手で少しずつ運び込んだという。

   「和魂」の二字は、幕末の「先覚者」と称せられる人々が「東洋道徳、西洋芸術=技術」といい、これが明治になって「和魂洋才」となるが、その「和魂」をとったものと考える。

しかし、「和魂」の解釈については人様々で時代による変遷もある。

現在の「和魂ホール」
   初代の和魂ホールは、昭和37年(1962年)竣工。17ヶ月を経て誕生した建物であった。

しかし、時の流れとともに次第に老朽と狭隘の問題をかかえるに至った。

平成2年(1990年)新体育館建設が決定。
 
   

 11月より解体が始まり、約1年4ヶ月の後の平成4年(1992年)3月末に完成した。

正面が現在の昇降口。

 

左がA棟、右がB棟校舎 です

和魂100年館です。

    創立100周年を記念して、平成8年(1996年)8月31日に完成しました。
   建築面積348、75㎡  延床面積686、25㎡ 鉄骨2階建
 使用目的
   1階  多目的ホール    各種研修・展示・文化的発表・諸会議・OBゼミナール
     2階  和室・研修室    各種研修・学習合宿・クラブ合宿